2012/05/17

「幸せの国」の苦悩

ウゲン氏の運転で、花の都ティンプーへおのぼりさんした。

経由地のパロ市街で国技アーチェリーの試合を見かけた。ブータン伝統の弓矢でなく洋弓である。
かつてオリンピックに出たブータン人選手は、敗退後「的が近すぎて当たらなかった」という名セリフを残したそうだ。オリンピックの的の距離は70mだが、ブータンの的はハンパなく遠く、130m。


女性のダーツの試合もあった。
的はやはり遠くて10m以上離れている。しかも地面すれすれ。
当たらないと相手方が短い歌を歌う。激励しているのか、はやしたてているのか?私が見ているうちは一度も当たらなかった。難しそう。



これより疲労と英語力不足とで無口になった。ゲデン氏とウゲン氏は、カーステレオから流れるブータニーズ・ポップスに合わせて歌ったりして、元気であった。彼らともっと話をしておけばよかったと今にして思う。
私は静かに車窓風景に熱中していた。

いや、ソレに熱中していたわけではなくて。

春先でもこんなに美しいのに、緑濃い季節はどんなだろうと思う。

昔は都へのぼるのも一苦労だったそうだが、今は道路があって1時間半で着く。片側が崖で、ガードレールの代わりに白く塗った石がぽつぽつと置かれていて、牛などが闊歩している道を、車線を無視した快適なドライブで進む。


ジブリアニメっぽい廃墟。

廃墟好き大喜び。

やがてティンプー市街にさしかかると、


バブルの真っ最中であった。


幸せの国ブータンにあこがれている人には申し訳ないが、ちょっと事情を説明する。
ブータンでは近年民衆の消費意欲が盛んだ。特にティンプーでは農地を売ったりアパートを建てたりして儲ける人が多い。上の写真にあるのはみなアパートだそうな。単身世帯も少なくない。ブータン人は必ず家族と仲良く一緒に暮らすというわけではないのである。
ここ数年でティンプーの人口は5万人から10万人にふくれあがった。私がブータンと出会った1980年代には1万人台だったが。


信号がないのにやたら車が多くて渋滞している。いい車ばかり。

御手洗瑞子氏によれば、ブータン人は享楽的で、一度きりの人生を楽しむために高いものでも気軽に買ってしまう。先のことは考えない(誰もスケジュール帳など持っていない)のに、長いローンを組んで・・・。つまり消費に慣れていないという。

先に述べた「周囲の幸福と来世での自分の幸福を願う」価値観とはそぐわないように思える。
しかしそれはそれ、同じ人間だから。車や携帯やテレビを見て、欲しいと思わない人がいるだろうか。

ブータンの経済はインドに依存している。
インドからの輸入が増えすぎて、ブータンにはインドルピーの蓄えがなくなってしまった。

★外務省「最近のブータン情勢と日本・ブータン関係」 http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bhutan/kankei.html

ブータンの主要産業は農業である。
だが残念ながらいまや自給自足とは言い難い。インドのコメを買うほうが安いのでコメをわんさか買う。二期作を行っていた農家が一期作にしたりしている。隣から安いコメが手に入るのに、誰が自分の痩せた土地を耕して自作したがるだろうか。

故ダショー西岡(西岡京治氏。1960年代からブータンの農業の改善に貢献し、外国人初の「ダショー(Sir. 騎士のような称号)」をもらった)がこの現状を見たら、複雑な思いを抱かれると思う。

他の主な産業は、ヒマラヤからあふれる豊富な水を使った水力発電。電気はインドに輸出する。

だがインドべったりではこころもとない。
そこで、観光業に力を入れている。


この日泊まったのはそこそこ高級なホテル。
あの・・・カーテンの間に輪っかがいっぱいはさまってて、閉められないんですが・・・。


風呂場が水漏れするんですが・・・。


テレビも映らなかった。
私は低開発国の「高級ホテル」の現状を知っているのでゲラゲラ笑って済ませたけれど、旅行客の中には「とてつもない公定料金を払ってるのになんで?」と憤慨する人もいるだろう。
観光業の振興にがんばっているわりには、「外国人の目から見たブータン」を意識する視点が足りないのかもしれない。


ところで、水漏れを修理する人の腕が黒いのにお気づきだろうか。
そう、インド人だ。

またショックなことを書くけれども、ブータン人はいわゆる3Kの仕事を、インド・ネパールからの出稼ぎ労働者にさせている。
建設ラッシュのアパート群もそうだ。インド人が危なげな竹の足場でほこりまみれになって働いている。彼らの住居は端板で作ったスラム。ビニールシートをかぶせただけの小屋もあった。

ゲデン氏いわく、
「インド人は建築技術に優れているのです。そしてブータン人は非常に怠け者です

御手洗氏の引用ばかりだが、リンクを貼っておこう。
「大丈夫。インド人の扱い方をよく知っているから」 http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110714/221490/?P=3

一応ランドマークのスイスベーカリー横の一等地。

ホテルにはインターネットコーナーがあった。
だがネットにつながらないので、フロントの人に言ったら、「わかる者を呼びますので2分お待ちください」。
2分と言われて20分待った。「いま来ますので2分お待ちください」。さらに20分。
私はPCの設定に詳しい誰かが来るのだろうと思っていた。
するとPCの背後の壁の中から、ごそごそと音がした。
そして壁の中からインド人が現れた。
修理屋さんらしい。「マダム、∑∂∰ℓℲ₳ἐΔ×・・・・・」としきりに訴えかけてくる。でも言葉がわからない。
どうも設定云々ではなく、配線とか原始的な部分が壊れていたようだ。


ヒマラヤのチベット文化圏は、強引な大国・中国とインドにはさまれている。チベットは中国に、シッキムはインドに取られた。ネパールは急激な開国で今日見るような情勢不安定化を招いた。
ブータンは独立して生き残る道を模索している。インドの支援を仰ぎながら、それだけでは立ちゆかないことを知っていて、国のイメージを向上させることに活路を見出そうとしている。
しかし先進国並みのサービスを提供するのはブータン人のスタイルに合わない。観光客が増えすぎても地元の文化に影響を与えてしまう。
都市の人々は消費にとりつかれ、グローバル経済の波がすぐそこまで押し寄せている。貧富の差も大きくなっている。

この美しい小国が自立して平和でありますように、と願わずにいられない。


メモリアル・チョルテン。

五体投地用の板がある。伝統を忘れない人々を見るとややほっとするが・・・。

境内でおやつを食べているおばあちゃんたち。田舎から出てきたようだ。

育ちすぎてお堂を飲み込んでいる杉。


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