2012/05/14

「幸せの国」より

6泊7日のブータン旅程のやっと3日目を書き終え、どーすんだこんなに筆が遅くて・・・と悩み中。

今日はちょっと方向を変えて、「幸せの国」について書こう。


日本に帰ってから聞かれたことは、
「で、ブータン人ってほんとに幸せなの?」
みんな例外なく聞いてくる。
私はGNHという「政策」にはさほど期待していなかった。そして西ブータンで会った西ブータン人は、中身が充実しているように見え、人間としての存在感があって、それだけでも幸せなことのように思えた。・・・と過去の投稿に書いた。
しかし、「あなたは幸せですか?」と一度も尋ねなかったのは、ものすごく片手落ちなことだと思い知った。

そこで、旅行会社のマネージャー、ウゲン・チョダ氏にお尋ねメールを送った。
「日本人はブータン人自らの口から答えを聞きたがっています。
私自身は、そこそこ幸せです。人生にいくらか楽しみがあるし、家族がいるし、友人はいい人たちだし、恵まれない人々に比べれば恵まれているからです。
少し不幸せでもあります。健康上の問題があり、経済的に苦しく、家族仲はそう良好でもなく、日本の将来は憂鬱だからです。
これは日本人の平均的な答えだと思います」
「あなたは幸せですか?」
「幸せor不幸せなら、その理由を教えて下さい」

いただいたお返事を記しておく。

I would like to say
 I am happy and I am having a good life 
as I have got a good family, good boss, neighbourings & friends.」
(「こう答えます。
私は幸せで、いい人生を送っています。
いい家族、いい上司、いい友人知人を持ったからです。」)




周りがいいから、自分の人生もいい。
シンプルだが、とても重要なポイントだと思う。
Thank you for sent the answer, Mr. Ugyen Choda.


プリムラ(サクラソウ)の一種。




日本人は幸せの理由を、「自分のしたいことをしている」とか、「恵まれない人に比べれば自分は恵まれている」と考えるのではないだろうか。前者は自分を中心に置いた絶対的価値観。後者は不特定多数の他者を中心に置いた相対的価値観だ。
「周りがいい」を第一にあげる人は、どれくらいいるだろうか。




御手洗瑞子 Tamako Mitarai 氏の言葉を引用しよう。ブータンで1年間公務員をつとめた方である。

“確かに、ブータンが政治の理念として掲げるGNHはとてもユニークです。ただ、ブータンで一生活者として暮らしていると、それより何より、ブータンの人たち自身の「幸せ力」というものを日々感じます。日本人である私がブータンで彼らと同じ暮らしをしていても、彼らの方がずっと、幸せを感じる力が強い。嫌なことがあっても、それを心の中で処理するのが上手なのです。”


“現世だけでなく、来世のことも考えている。
家族の幸せは、自分の幸せである。”
“今の人生でちょっと思い通りにいかないことがあっても、「来世がいい人生だといいなー」「まぁ、家族が幸せだから、いっかー」と思えてしまう。幸せを願う範囲を広く取っていることは、ブータンの人が日々あっけらかんと楽しく幸せに生きる、大きな秘訣になっているように思います。”http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110615/220809/

ブータンの人々の周囲との関係の濃さは特筆すべきものがあった。親戚の家に上がりこんで長居する。知り合いに会えば延々と立ち話をする。知らない人にも話しかける。
彼らはつながりの中に生きている。

仏教の影響も見逃せない。ブータン人に限らずチベット仏教徒は、基本的に自分の現世のことは祈らない。生きているうちは周囲の人の幸せを願い、生きとし生けるものすべての幸せを願う。自分のために祈るとしたら、それは来世での幸せだという。

「先進国」の私たちと違い、彼らは自我が突出していないのかもしれない。
周りあってこその自分。
世界のすべてとつながっていてこその自分。

仏教用語でいえば「縁」の中に、自然にとけこんでいるのだろう。


目の前にかかっていた幕がはらりと落ちて、新しい視界が開けたような心持ちがした。

0 件のコメント:

コメントを投稿