ブータン人にとっても特別な寺だ。なにしろグル・リンポチェが虎にまたがって到達し、瞑想を行った場所なのだ。
実のところ今の僧院は新しい建物で、私が女子高生時代に惚れた古い建物は1998年に焼失してしまっている。ブータン人はもっと便利な場所に引越しさせることなく、6年かけて山の下から建材を運び、元の場所に再建した。それほどの聖地なのである。
どんな僻地かと思っていたら、ふもとまでパロから車で30分とかからなかった。
駐車場は日曜日の高尾山並みににぎわっていた。
馬方さん。奥は同行することになったアメリカ人の親子連れ。
馬で登れるところまで登り、僧院に到達するのは体や膝の具合をみてからということにする。下りは危険すぎて馬が使えないので、徒歩で下るための体力は温存しておかなければならない。
旅行会社から「馬は途中のカフェテリアまでしか行かない」と聞いていた。しかし馬方さんによると、そこを通り過ぎて45分ほど奥の、第2ビューポイントまで行けるという。ラッキー。
私が乗った馬の名前はツェリン君。
もも家の坊やと同じ名前だ・・・。日本で馬に「ひろし」とか名付けたら違和感があると思う。
この日のために日本で一度乗馬の練習をしていった。しておいて正解だった。道はところによって険しく、右側は急な崖で、バランスを取りながら進むことになる。
いざ出発。厚着&膝サポーター2重巻きの完全防備で。
馬上では撮影どころではなく、徒歩のゲデン氏が私の重いカメラを預かった。彼は私の知らないうちに何枚か写真を撮ってくれていた。
向かいの山にタクツァン。
Thank you for took pictures, Mr.Geden.
地球の歩かされ方に「仏教的にはよろしくない」と書かれていたが、確かに馬にとっては大人を乗せて高山を行くのは重労働である。馬は時々立ち止まって不満そうに「ブルルンブルルン」と鳴き、馬方さんは「エイッエイッ」とけしかけ、私は「ごめんねごめんね」とたてがみをなでる道中。
それでも「おんまはみんな~パッパカはしる~♪」なんて立て続けに馬の歌を歌ったりして、楽しい1時間半だった。
高山の森林相も日本とはまったく違っていて見ごたえがある。
垂れ下がるコケ類。おとぎの国みたい。
時々観光客とすれ違う。日本のおばちゃんの団体にも会った。元気だった。私の前を行く馬上のアメリカ人の子どもを見て「かわいい!」を連発していた。
そうして一時の邂逅でにぎわう他は、しんと静かだ。日本には滅多にないナチュラルな沈黙が耳にしみ入る。たまさか鳥が鳴く。
第1ビューポイントのカフェテリアに着いた。
住み込み人の小屋(住むのか!)と紫色の花。
カフェテリアにて。
テラスよりタクツァンを真向いに望む。
お茶を飲んでから再び馬上。
空気の薄さに何もしなくても息切れする。
ここの方が断然眺めがいい。脚の弱い人はせめてここ、カフェテリアより先の第2ビューポイントまでは馬で行くといいだろう。(馬さんの健康を祈ってあげて下さい。)
ツェリン君に別れを告げて歩き出す。
ほんの2、3歩で、すさまじい息切れと疲労感に襲われる。
(もともと線維筋痛症や慢性疲労症候群持ちなので、常人よりずっと疲れていたと思う。)
まわりを見ると観光客は皆ゼイハアと息を切らしている。高度3150m。ブータン人の参拝者はどうってことないという顔をしているが。
先は石段だ。タクツァンへ到達するには、せっかく登ったのにいったん谷へズドーンと降りて、またドカーンと登らなければならない。石段は700段だったか800段だったか・・・。話を聞いた人が「せつない道ですね」と言っていたが、本当にせつない。
少し降りてみた。
夢にまでみた景色。
ちょっと涙ぐんだ。深く息を吸い込んだ。
何度も手を合わせて祈った。
私を導いてくれた見えない力に感謝した。ご縁があってここまで来られたのである。
しかし体はもうヘニョヘニョだった。
僧院到達は断腸の思いであきらめた。
二度と拝めないであろう景色をとくと眺め、脳ミソのひだに刻みつけた。
「いかにしてこのような谷に掛け渡したのですか?アーチェリー?」
「いいえ、片方を木に結んで、もう片方を持って歩いて・・・」
帰途。約3時間、杖をついて徒歩。
旅行会社が膝の悪い私に「本当におすすめしません」と言った意味がよくわかった。岩がぼこぼこ出ている場所が無数にある。ゲデン氏が私の片腕を抱えて越えるのを手伝ってくれた。かなり体力を使ったことと思う。Thank you for help my way, Mr.Geden.
帰路に撮った花などの写真は次回。
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