2012/04/27

もも家

「ブータンにおけるソレが見たいです」という望みが、いきなり果たされた。

よく見たら裏側にCHINGCHINGと書かれていた。


車のバックミラーに普通にぶら下がっているではないか。
アハハとごまかし笑いをしつつ、激写。
運転手のウゲン氏がからかいぎみに「これ好き?」と聞いてきた。好きともなんとも言えず(言いようがない)、「む・・・」とまたごまかしておいた。
答えはおおかたわかっているけれど、高校生時代に抱いた「なぜソレなの?」という疑問を、笑顔でぶつけてみた。
ガイドのゲデン氏は真顔で、「グッドラックという意味があります」と語った。

私「日本にも同じような信仰があります」
ゲデン氏「はい、そうですね」 (←知ってた)
私「日本でも同じ意味です」
ゲデン氏「同じですか・・・」 (他にも意味はあるが、はしょる)
私「いくつかの神社で似た物体を売っています」
ウゲン氏「アナンさんは買って車につけないの?」
私「もし私がそうしたら、警官が来て、“えー失礼ですがマダム、なぜでしょうか”と尋ねるでしょう」
両氏「(驚いて)日本ではいけないことなんですね」

いけないかどうかは知らない。どなたか試してみてください。

それにしても冗談好きなウゲン氏ならわかるが、真面目なゲデン氏まで「ち○ち○」という日本語を知っていて連発するのがおかしかった。

「あのぅ、あなた方には夜這いの経験がおありで?」
という質問を、まだ会ったばかりだからと飲み込んで、とりあえず宿泊予定の民家へ荷物を置きにいった。






ブータンで民家に泊まりたいなら、事前に旅行会社に申し込む必要がある。だいたい旅行会社の人の親戚か知人の家になるようだ。ふらっと通りかかった家に泊めてくださいと頼んでも受け入れられないだろう。おそらく文化を守るための決まりなのだ。


その家はパロ郊外の丘の中腹にあった。味のある素敵なおうちだった。
パロ地方の平均的な農家だと思う。総じて大きな家が多い。

木のベランダが気持ちいい。

50坪ぐらいありそうだったがなお増築中。
建材は木、日干し煉瓦、煉瓦。

農家はもともと1階が家畜小屋で、2階が人間用。2階には外階段からベランダを経て出入りする。
しかしいまは衛生上の理由で、1階に家畜を飼ってはいけないという決まりがあるそうだ。ブータンには決まりがたくさんある。
この家でも、家畜は庭の奥の家畜小屋にいて、1階は子ども夫婦の住まいになっていた。

ベランダで靴を脱いで上がる。戸を開けるとリビングである。

ボケちゃったけどリビング。広い。食事はここでとる。

私が2泊することになったかわいい客用の部屋。
孫たちが描いたのであろうディズニーキャラや俳優(?)の絵が飾られていた。


アパから歓迎のお菓子をいただいた。
トウモロコシチップスと煎り米。飲み物はスジャ(バター茶)。


なんという家なのかを聞かなかった。というのも、ブータン人には苗字がないので、「鈴木さんち」とか呼べないのである。たとえばゲデン氏はゲデン・チョペリというのだが、ファーストネームのゲデンが個人の名前、セカンドネームは僧侶からもらう。
それに私はすぐさまアパ(お父さん)、アマ(お母さん)という単語を覚え、単に親しみをこめて「アパ・アマの家」と呼んでいた。
屋号などはあるのだろうか。写真を送りたいのだが、聞かなかったのが悔やまれる。



部屋の窓から花咲く桃の木が望まれたので、とりあえず「もも家」と呼ぼう。

もも家のアマは珊瑚石のネックレスが似合う優雅で優しい女性。アパは立派な口ひげをたくわえた風格ある紳士。
「あのぅ、こちらのお宅では夜這いの経験が・・・」
などとはとても聞けない雰囲気であった。

子どもたち孫たちを抱える大家族だった。アパ・アマには子どもが5人いて、うち2人が伴侶と小さな孫たちとともに1階に住んでいる。近所にいる親戚も加えて、総勢21人。


お孫さん。絵が好きな5歳の坊や、コマ回しが上手な7歳の坊や。右端がアマ。



さて、どんなおつきあいになるだろうかと思っていた。
ホームステイという形になるから、相当濃い人間関係を予想していた。内気な私には(これでも内気なのだ!)少々しんどいことになるかもしれないと。しかし、いわば“政府公認”の家庭でもあろうから、客慣れしているかもしれないと考えたりもした。英語ペラペラで判で押したような会話しかなかったりして・・・。

思案は外れ、慣れているような、慣れていないような接し方の、2日間であった。
客に遠慮しておチビさんたちをリビングから追い出すかと思えば、そのままにして私と遊ばせてくれたり。テレビなど見つつ私を放置しているかと思えば、一生懸命面倒をみてくれたり。
英語を話せるのは7歳になる小学生の坊やだけだった。

滞在中は距離の取り方にとまどったが、いま思い返すと私にとっては絶妙な距離感だったかもしれない。
“民宿と一般家庭を足して2で割った”とでもいおうか。


なぜか黒や灰色のニンジャっぽいマスクが流行っていた。私もマスクしてパチリ。
左端はおっとりした女のお孫さん。

もも家を拠点にパロ・ツェチュ祭や寺院を見物した。
帰ってくるといつもアパかアマがお茶をいれてくれて疲れが癒された。


ところで、ブータンは母系社会で女が家を継ぐと私は思っていたし、本にも書いてあった。
大昔の日本のように、娘が家の権利を持ち、男が通い、住みついて婿になると。
(私は女がえらい社会が好きである。)

それで、もも家の“ご主人”はアマだと思ったのだが・・・。
ゲデン氏に訂正された。
女が家を継ぐのは東ブータン。ここ西ブータンでは、家はだいたい男のもの。

聞いてみなければわからないものだ。

では“ご主人”はアパということになるか。
あるいは“一家の主”という考え方そのものがないのか。西ブータンの男性は外で働くが、家事もよくする。アパが私の食事を出してくれたりした。農作業はもちろん男女を問わず行う。娘さんは畑を耕していた。
それにしても、文化人類学などちょっとかじったことがある割には、長年どえらい間違いをしていたものである。恥ずかしい。

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