2012/04/25

君はゆくのかそんなにしてまで♪

さて早々にブータン行きを決めて、高い公定料金を現地旅行会社に払いこんだ。
周囲には「ブータン行きます」とヽ(^ε^) ←こんな顔で自慢げに吹聴した。
のであるが、多様なドタバタに見舞われた。


整形外科で両膝のリハビリを本格的に始めた。
メニューは週3回のマッサージ、柔軟体操、筋トレである。
ところが筋トレをすると膝の痛みが悪化することが判明。筋トレは中止となった。

こんなやわな脚であの山国を旅行できるのだろうか。
「半障害者でもブータンに行けるんです」と(後付けこじつけの理由ながら)証明してみたかったのだが、現地で歩けなくなって寝込んだら、アホすぎる。

出発2か月前から、毎週の膝の水抜きとヒアルロン酸注射を始めた。
成果は芳しくなかった。
お医者さんは「注射しか手がない」と言うし、リハビリ療法士さんはブータン行きを「無謀だと思います」と言い切った。


杖代わりのトレッキングポール。ええ、これついて街を歩いてましたとも。



そして旅行会社。
日本人スタッフさんがいるというZhidey Bhutanである。

何度か日本語でメールしたが返事がない。
そこで英語で送ったら、速攻で返事が来た。ブータン人のマネージャーさんである。
きっと日本人スタッフさんはもういないのだ、辞めちゃったのだと思い、断りのないのがブータン流なのだと思って、彼にお任せすることにした。

だがパロ・ツェチュ祭見物を含めて西ブータンを1週間で回るという大まかなスケジュールを決められて以来、放置プレイされた。
いやそれもブータン流なのであろう。日本の会社ならまめに連絡をくれるのだろうが…。
そう思うようにして、なるべく悠然と構えていた。

しかし、

●マネージャーさんより、「公定料金を少なく請求してしまいました。ブータンに着いてから残りを払って下さって結構です」

私の英語力は昔の中学2年レベルである。
自分がわかっているかどうかもわからぬまま、ちょっとパニクった。
追加料金は360US$にのぼった。

●リクエストしたがあまり反応がない。

ブータン旅行は旅行会社が旅程を決めるため、事前にできるだけブータンのことを知って、できるだけリクエストしなければ、行きたいところに連れていってもらえない。お決まりのコースを連れまわされる羽目になる。
伝統工芸院が見たいとか、○○学校を見学したいとか、歌やダンスを体験したいとか、いろいろ言ってみたが、反応が鈍かった。

いやいやまだ先のことだから、向こうもスケジュールを決めかねているのだろう。と、まだ悠然と構えていた。

ブータンにおけるソレが見たいです http://bit.ly/I4RkNb

日本の民俗における例: 田縣神社パンフレットより

とリクエストを送ったが反応がない。

いや真面目に反応したら変か。

※成人してから民俗学や文化人類学をかじって知ったが、男性のソレをパワーの象徴としてあがめる風習はかつて世界各地にあった。日本では縄文時代から。

●マネージャーさんより、「その膝の状態でタクツァン僧院へ行くことはおすすめしません」

高校生時代にブータンに一目ぼれするきっかけとなった、崖っぷちの寺院である。パロ・ツェチュ祭と並んで私のブータン旅行の最大目的であるから、なんとしても行きたかった。

●「馬を使えるのは登りだけです。下りは危険すぎて使えません」

タクツァン僧院がよく見えるビューポイントまでは、馬で往復しようと考えていた。馬でも復路は歩かなければならないなんて、どこのガイドブックにもサイトにも書かれていなかった。

●「ふもとの駐車場からでもタクツァンは見えますよ。本当におすすめしません」

やだ。せめて近くまで行きたい。

●ドゥクエア(ブータン国際航空)のどの便に乗るのか連絡がない。

なにぶん決めた通りの旅程しか受け付けない特殊なお国柄ゆえ、ある便を逃したから次の便で・・・というわけにはいきそうもない。それにパロ・ツェチュ祭の最中だから、次の便も満席だろう。
だが便がはっきりしなければ、経由地までの飛行機を決められないではないか。少し困った。

●出発の前月まで航空券が送られてこない。

ん?大丈夫かこの会社。不安になってきた。
5回ぐらい催促した。

●かなりギリギリまでビザ発給の元になる「ビザ・クリアランス・レター」なるものが送られてこない。

そういうものが必要だと知らなかった私も私であるが・・・。
結局はビザそのものがメールで送られてきたので、印刷して持っていき、入国できたけれど。

この下にビザ番号や旅程が書かれている。


●出発間際に判明したこと。日本人スタッフさんは、ちゃんといた。

・・・・・。

結果としてはいい旅行になったので、おすすめの旅行会社として挙げておくが、ブータン流のペースを覚悟する必要はあるだろう。


そして、新しい情報。

●地球の歩かされ方の最新版を読んだら、ぜひとも見たい国立博物館が、2011年秋の西ブータン地震による破損のため閉館中。

●ロンプラを読んだら、私が泊まる予定のホテルが「old fashioned」と書かれていた。
あえて「時代遅れ」とは訳さず、「古風」と訳することにした。


そして、出費につぐ出費。

●経由地までの旅費。

ブータン旅行には、頼まなくてもガイドさんと、運転手さんと、車と、移動費と、宿と、朝昼晩飯がついてくる。節約のしようがない。どんな姫様旅行だよと思う。

★現在のブータン旅行の公定料金 http://www.travel-to-bhutan.jp/archives/576

つまり経由地(タイかインド。私はタイのバンコクを選んだ)までの旅費を節約するしかない。名古屋発の飛行機に乗りたかったが、名古屋発は高くつく。なぜかその時期はいつもにも増して高い飛行機しか残っていなかった。
しかたなく関空発のエアアジア便にした。愛知→大阪→クアラルンプール→バンコク→ブータンという、迂遠なルートになってしまった。
大阪とバンコクでは大いにケチろうと決心していた・・・が、のちにそうもいかなくなる。

●登山靴と、トレッキングポールと、補助の膝サポーター。

アウトドアメーカーのちゃんとしたのを買ったからフトコロがしくしく痛んだ。(実はいまだにローンを払っている。)

●ガイドさんと運転手さんへのチップ。

ブータンには元々チップの習慣はなかったが、欧米の観光客が根付かせてしまったという。
ガイドさんには1日10~20US$、運転手さんにはその6割が相場だそうな。

●電圧変換器、充電器、その他もろもろ。

かの国では電圧が不安定で電気製品がしばしば故障するらしい。


やがて出発間際。
アナンのジンクス発生。
「出発前に必ず何か起こる」。
カンボジア旅行の前には大雪が降ってバスが6時間も遅れたし、台湾旅行の前には仕事の予定がクライアントの都合で大幅に狂って過労を強いられたものだ。

今回は出発の直前、猛烈な春の嵐が訪れた。
電車も飛行機も止まり、私が使う予定の関空では、窓ガラスが割れるという騒ぎに!

どきどきしながら大阪の宿へと向かった。
大荷物を引きずっていても風でよろめくという天候だった。
友人知人から「だいじょぶか~」と心配の声が寄せられた。

大阪では急行が走らなくなり、満員の鈍行に長時間乗るしかなかった。りんくうタウンから空港にかけての電車は完全に運休していた。
私は杖をつき脚をひきずっていたが、誰も席を譲ってはくれなかった。(笑)
ひどく疲れたので荷物の上に座ったところ、キャスターが滑り、荷物ごとズシャー!!と転がった。恥ずかしかった。

大阪の宿に着いたら、財布が壊れた。
縁起でもない・・・と思いながら百円ショップを探した。

猛烈に腹が減ったので、コンビニで弁当に加えてお菓子まで買ってしまった。
節約はどこへいったんだ?

これで搭乗予定の飛行機が飛ばなかったら、次の便でバンコクまでは行けても、ドゥクエアには乗れない。
散々ブータンブータンと騒いでおいて行けなかったら洒落にもならん。
ネット上の友人知人には、予防措置として、「ブータンがだめになったらタイのオカマバーへ行きます」と宣言しておいた。しかしすでに涙目であった。

ほうほうのていでカプセルに這いこんだ。


翌朝、飛行機はなんとか飛んでいた。
エアアジアの荷物重量制限は7kg。それをたった1kgオーバーしており、追加料金6000円を取られた。
ジンクスはこれで終わりになってくれよ・・・と切に願った。

機内より、鷲星雲M16 http://www.spacetelescope.org/images/opo9544a/ みたいな雲


クアラルンプールへ。そして数時間の待ちを経て、バンコクへ。
搭乗前の検査で、膝サポーターの金属がひっかかってピーピー鳴る。
そのたびにズボンをまくりあげて見せる。
めんどいのでしまいにはズボンの上にサポーターをつけることにした。超かっこ悪い。
金属製の杖も、不審な目で見られる。(ちなみにエアアジア、行きの便では杖の持ち込みを許してくれたが、帰りの便ではなぜか預け入れとなり、一時紛失して、出てくるまでに1時間半もかかった。)

とにかく疲れてのどが渇く。エアアジア特有のケバさがある客室乗務員さんからジュースを何杯も買った。エアアジアは運賃が安い分、機内食やドリンクがついていないのである。
どうでもいいことだが、関空発クアラ行きはサービスがよくて機内も清潔だったけれど、クアラ発バンコク行きは無愛想で機内が汚れていた。規格が統一されていないところがアジアっぽい。

夜、バンコクのスワンナプーム国際空港に着いた。
飛行機内のどこかで杖の先が取れてなくなるというハプニングに見舞われたが、乗務員さんたちの捜索により、無事発見された。

うっかり携帯を国際ローミングにしてしまった。
高額な料金を請求されると知り、来月の請求書が来たらすみやかに破り捨てることにした。

バンコク発ドゥクエアが、翌朝6時台という無茶な出発時間だったので、空港内に巣を作って待機するつもりでいた。しかし疲労に負けてホテルをとってしまった。
もう三十代までの図太い旅のしかたは無理なんだなぁと、しみじみ年を感じた。
ホテル紹介カウンターで、空港に近いが「10分間で27US$」というとんでもない休憩所を紹介された。「もっと安いところを」と食い下がったら、ひどく遠いホテルを紹介された。嫌がらせかよ。
迎えのバスをかなり待った。
1泊37US$。たった4時間の滞在。寝たと思ったらもう起きなければならない。


私の頭の中ではあの古い歌が繰り返し響いていた。

♪君のゆく道は~ 果てしなく遠い~♪


そして荷物の中からヘッドランプが消えていることに気づいた。盗まれたのだろう。
小さな小さなキーホルダーライトなら持っていたが、停電が多いというブータンでは不便なことになりそうな予感がした。

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